アリストのブログ_意味がある文章

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『十六の墓標 炎と死の青春』の感想等_異常と普通の混在・近さが不気味でもあり興味深い。

『十六の墓標 炎と死の青春』は連合赤軍中央委員会副委員長等を務め、死刑判決を受けた永田洋子の著書。1970年前後の日本国内での極左テロリストグループのあり方が描写されている。当時を生きていない自分からしても、非常に興味深く読めた。今年読んだ本の中で5本の指に入る面白さ。

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 共産主義的な活動や、テロリズムに特に興味がない人でも、人間や社会に興味があれば面白く読めると思った。何が人々を不合理な行動や、残虐な行動に導いたのか。人の人生とは何なのか、考えさせられる。

 革命を起こすために銃を奪う、交番を襲撃する、離脱した仲間を処刑する等、最近の日本ではあまり表沙汰になることがないような話が、50年前頃には起きていた。そう思うと時代の移ろいの早さを感じさせられるし、知られるべき過去の多くの物事が今を生きる若年層には認知されていないとも思わされる。

 自分が読んだ感想としては、極左テロリスト達の狂った異常な世界をのぞき込むというよりかは、比較的普通の人達も想像したより簡単に恐ろしいことをしてしまう、という見方をしたほうがより興味深く思える。

 著者は中学三年の終わり頃から「人は何のために生きるのか」ということを考えていた。世の中には「何のために生きるのか」ということを考えずに暮らせる人と、考えずには生きられない人がいる。考えずに生きられる人は、それはそれで幸せなのだろう。考えたくなってしまう人は、その問いに対しての答えにより生き方を定義していくことになる。

 永田さんの場合は、その問いに対して主体的に答えを見つけられず、出来合いの思想・組織の中で自分が期待されている役割を発揮することを、自分の生の意味としてしまったのではないかと思った。押井守監督もどこかで話していたが、自分のテーマを持っていない人は、テーマを持っている誰かに使われてしまう。自分のストーリー・テーマを持って生きたいと改めて思った。

 大学時代から共産主義的な活動に参加していき、大学を離れても共産主義グループに属し、労働運動や反戦運動等の政治的な運動に身を投じていく著者。政治的な意義よりも、各グループの党派性が強く、個人の権力欲や承認欲求に組織が振り回されていく様子の描写も興味深い。そもそも人は感情の生き物で、組織も人が作るものなのだから、大体の組織というのは不合理なものと考えておくのが丁度よいのかもしれない。それは極左のテロリスト集団の話だけではなく、株式会社のような身近な組織体についても言えるのでは。

 革命を目指したグループの中での出来事ではあるが、性欲の話や恋愛の話等、ある種人間として切り離せないようなものが出てきたり、異常な世界をのぞき込むことで、むしろ普遍的な人間の姿を描いているように感じさせられる。

 離脱した仲間を処刑する等、残虐なことが行われていく中で、山菜の天ぷらを美味しく味わったり、逃亡先の北海道の景色を美しく感じたりするテロリスト達。実際、人間はそういうもので、異常と正常の境目は多くの人が考えているよりずっと曖昧なんだろう。

 

 

■書いた人:Aristo 

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